「銭湯の番台に座ってきた」というと「どうしたどうした?」と男連中が群がってくることでしょう(この書き出し、尊敬する東海林さだお先生のエッセイ参考)。
恐れ多いことですが私、先日銭湯の番台に座ってきました!
と言っても、廃業された銭湯にてですが、、、三重県尾鷲市の旧「松の湯」さんで開催されたワークショップでのこと。
このワークショップ、銭湯のデザインや文化について色々学ぶことができた有意義なものでした。
レトロな銭湯松の湯さんの内装を写真で紹介させていただくとともに、今回のワークショップのレポートを記します。
尾鷲のレトロな銭湯「松の湯」ワークショップ!講師には銭湯大使のステファニーさん
おわせ暮らしサポートセンターさんイベント「巡礼から定住へ」第二弾松の湯ワークショップ
今回参加した銭湯ワークショップは、おわせ暮らしサポートセンターさんの「巡礼から定住へ」プロジェクトの第二弾として開催されました。
サポートセンターさんは、尾鷲への移住定住を促進する施策をされているNPOで、今回の「巡礼から定住へ」は
熊野古道馬越峠から八鬼山峠までの市街地を通るルートを「巡礼から定住」への道と位置づけ、世界遺産・熊野古道を観光資源としてのみならず、移住促進のための魅力的な誘因としてとらえなおすことで、古道を歩く巡礼のひとびとに「古道沿いの暮らしの今」を伝えるための拠点づくりに取り組んでいます。
というコンセプトのもと開催されています。
第二弾の銭湯ワークショップ会場である松の湯さんも、熊野古道を結ぶルート沿いにあり、馬越峠をおりて数分の場所にあります。
尾鷲の銭湯、旧「松の湯」
尾鷲のレトロ銭湯、旧「松の湯」さん。旧とあるのは、残念ながら数年前に廃業されているからです。井戸水を使ってお湯を沸かしていた、地域に根ざした銭湯だったそうです。
尾鷲や熊野地域もそうですが、昨今全国的に老舗の銭湯はどんどん少なくなっているそう。かつては尾鷲にいくつも銭湯があったそうですが、現在営業しているお店は一件のみ。ユーザーの現象だけでなく設備の修繕や後継者問題などがその大きな要因。
幸い松の湯さんはその建物が残っており、今後何かに活用できればとのアイディア出しの目的もあって今回のワークショップは開催された次第。
講師に銭湯大使のステファニーさん
今回の松の湯ワークショップでは、東京で活躍されている日本銭湯文化協会公認銭湯大使のステファニー・コロインが講師として来場されていました(写真右)。
ステファニーさんはフランス人で、銭湯の魅力にはまり、日本へ移住。これまでに日本全国900件以上の銭湯を訪れたことがあるそう。それだけでなく、実際に銭湯で働いているという、筋金入りの銭湯好き。
銭湯に関する著作もあり、本やSNSでその魅力を日本や世界に発信する活動をされています。
ワークショップの参加者で奈良の方がいらっしゃったのですが、その方の地元の銭湯話題で盛り上がるほど、知識も経験もあるステファニーさん。
ちなみに、ワークショップ前日には、熊野市にある「みはま湯」さんでご当地銭湯を楽しんだそうです。案内したサポートセンター理事の木島さん曰く、ステファニーさんは地元のおばちゃんと積極的にコミュニケーションをとって有意義な時間を過ごされたみたい。あとでお話した時に、銭湯の魅力はコミュニケーションにありとも語られていました。
Dreaming about hot water ♨️
Today we had a great event in Matsu no yu.#dokodemosento #sento #銭湯 #尾鷲 #三重県 #銭湯大使 pic.twitter.com/EhYa42mHhp— ステフ/Steph ・銭湯大使♨︎ (@_Stephsento_) January 18, 2020
レトロ感がたまらない、松の湯の内装や広告
そんなこんなで始まった松の湯ワークショップ。まず、外観からしてたまりません。絵に描いたような昭和レトロな銭湯!
外観には、銭湯につきものの富士山の絵が。タイルに描かれているというのもまたたまらない風情があります。
一歩中に入ると、もうタイムスリップ。昭和にタイムスリップ。誰がなんと言おうとタイムスリップ。
お風呂場を向いている番台。木でできた漢数字の着物入れ。最初期のマッサージ期に、今見るとSF感すらただようドライヤー。そして奥にはタイル張りの浴室と湯船。
落語やサザエさんの世界が眼前に現れたような衝撃。これこれ!これが見たくて今回のワークショップに参加したのです。
壁のそこかしこに貼られている広告なども見事にレトロ。特に、今はなくなったナショナルブランドの広告などは、ノスタルジーを掻き立ててくれる一品。
置いてある自販機も、今ではあんまり見ないタイプのもので、実にそそられます。銭湯と言えばビン牛乳なイメージですが、こんなレトロな自販機があったら、こっちも買ってみたい。
体重計も「これぞ銭湯の体重計」といった見事なもの。よくよく見ると、尺貫法表記が。そんなところにも年代を感じますね。それとセットで身長を測る器具も置いてありましたが、昔の銭湯は浮世の身体測定場でもあったみたい。
女湯の方には、籐でできた赤ちゃんを寝かせる台も。木製のものもありましたが、籐製のものは珍しい。尾鷲で生まれた多くの人が、この上で着替えをしたり、オムツを替えてもらったんだなと思うと、感慨深いものがあります。
ワークショップが始まる前には、銭湯の番台に座らせてもらえるという貴重な体験も。昭和生まれの日本人にとって「銭湯の番台に座る」ということには、言葉の意味を超えた、特別な感情が込められているはず(おそらく20代以下には伝わらないニュアンスでしょう)。
漁師町尾鷲。男湯と女湯の銭湯デザイン
私は職業がデザイナーなので、デザイン目線で色々と面白い発見もありました。
まず、男湯の方の靴箱(下足置き?)。女湯の方と比べて、少し高さのある靴箱があります。これは尾鷲が漁師町ということもあり、長靴を入れるためのもの。
現代でしたら、ブーツを置くために女湯の方に設置されていそうですが、この辺も時代と尾鷲という土地がらを感じます。
また、男湯と女湯のデザインの違いは洗い場にも。男湯の方はカラン(蛇口)の上に一段高い、ものが置けるスペースがあり、女湯の方は壁から直接カランが出ています。(写真上:男湯、下:女湯)
これは、松の湯のオーナーの方に教えていただいたのですが、男湯の方は椅子に座っていたので、その一番高いところに石鹸や髭剃りを置いていたそう。一方女湯では、女性はタイルに直接座って体を洗っていたそうです。
おそらく女湯では赤ちゃんを洗うことが多かったからかでしょうか。高さのある椅子に座っていると、万が一落としてしまう危険性もあるので、タイルに直接座って洗っていたのかなと。
面白いグッズに、ブリキ(?)の桶も。他の桶よりもひとまわり大きく、かつては髪を洗う用の桶だったそうです。オーナーさんいわく、昔は尾鷲地域も芸者さんたちがいたので、その方たちが髪を洗うのに使っていたみたい。
ステファニーさんに教えていただいたのですが、かつては髪を洗うときは別料金(洗髪料金)を払い、その証拠となる札をもらい、カランのところに立てかけていたそうです。特に長い髪の女性が洗う場合には他の人よりもお湯を多く使うからというのが理由。大体30円ぐらいだったみたいです。
何気に銭湯一つとっても、漁師町ならではであったり、男湯と女湯にデザインの違いがあるなど、面白い発見が。この後もオーナーさんやステファニーさんに、銭湯の桶の大きさが関東と関西で違うことなど、様々なことも教えていただきました。
オーナーさんには、このワークショップに参加した記念にと、今は使われなくなった木製脱衣ロッカーの鍵やビラ下券(映画の割引券。当時は銭湯でもらえたみたい)をいただきました。ありがとうございます!
まずは床磨きとワックスがけ
ワークショップの最初は、古くなった脱衣所の床を磨き、ワックスがけをするというもの。
廃業してから数年。埃や汚れがつもり、何度ふいても雑巾がきたなくなります。
大勢で一緒になって、一生懸命床拭き。こんなのって中学生以来だなとなんか懐かしい気持ちにも。汚れの酷いところはサンダーをかけつつ、徹底的に拭き掃除。
拭き掃除のあとは、ワックスがけを行いました。これまた久しぶりの経験。最初ほこりで汚れていた床が拭き掃除とワックスでピカピカになっていくのは見ていても気持ちいいです。
この脱衣所の床をキレイにしておくことで、今後松の湯が何かに活用されていくための、最初の道筋がたった気がしました。
湯船も同時に掃除したのですが、床のタイルがなんとも可愛らしかったのが印象的でした。とても柔らかい印象のデザイン。
オーナーさんによる風呂釜見学
掃除の合間に、松の湯のオーナーさんによる銭湯のバックヤード(風呂釜)見学がありました。
建物の脇からはいると、そこには煉瓦造りの大きな構造物が。この上の部分に井戸水をため、傾斜を利用して釜へと水を流していたそう。
下の部分は風呂釜からでた灰を溜める場所になっており、当時は農家さんなどが買いにきていたそうです。
さらに奥には風呂釜が。
木で焚くタイプの風呂釜。配管や温度計がなんとも時代を感じ、かっこいい。
ここでお湯を沸かし、水と混ぜて適温にし、湯船へと送っていたそう。湯船へ送る配管には温度計がなく、配管を直接握って温度調節をしていたとのことです。まさに職人芸!
バックヤードからも、湯船へと入れる扉があり、年配の人などは「この扉に憧れていた!」と盛り上がっていました。
掃除が終わった後は、お風呂場にての座談会。銭湯は成長を感じる場所?
掃除後は洗い場でワークショップ座談会。
尾鷲の観光、入浴施設「夢古道おわせ・夢古道の湯」の支配人である伊東さん(写真マッサージ椅子に座っている)が司会進行で、ステファニーさんにインタビューをするという形式(伊東さんは幼い頃に松の湯に通っていたそうです)。
ステファニーさんからは、今現在の日本の銭湯事情とともに、銭湯というものの魅力などが熱く伝わってきました。
私は温泉が好きでよく行くのですが、銭湯は数えるほどしか行ったことがありません(家の徒歩圏ないにあるにもかかわらず)。しかし、こうして改めて銭湯大使であるステファニーさんのお話を聞いているうちに「銭湯もいいかも」って気持ちに。
温泉とは又違った、地域コミュニティーとしての魅力。ただお風呂に入るという行為を超えたコミュニケーションの場でもあり「浮世の社交場」として役割がたしかにあるのです(昔の日本は床屋と銭湯が地域の情報収集の重要な場所とされていました)。
温泉とかで、じっくりと泉質を楽しむのもいい。でも街中にある銭湯には、それとはまた別の魅力。銭湯それぞれに世に二つとないデザインがあり、味がある。しかもそれは、新店舗では出せない、時代を超えて醸し出された味わい。それが今後残っていくかどうかはわからないけれど、幸いにも今は味わえることができる。
そうして、今の世代の人がどんどん銭湯に行くようになれば、銭湯文化が後世につながっていくのかもしれない。
「温泉」もいい、「スーパー銭湯」もいい、そして「銭湯」もいいのです。同じようで、ちょっと別のカテゴリー「銭湯」。だからこその楽しみがあるのです。
座談会の後、参加者それぞれの銭湯への思いなどが語られましたが、一人ひとり特別な思い出があるようでした。
特に年配の人たちの、幼少期の銭湯の思い出はそのまんま思春期や青春の思い出とつながっており、母親とはじめて男湯へ入るようになった時の思い出、背中に絵が入ったおじちゃんたちの思い出、大人におこられながらもそこでルールを学んだ思い出など成長を感じさせられる場所でもあったのだなということも知ることができました。
熊野地方の銭湯に感謝
ワークショップのラストは、脱衣所の鏡にみんなで寄せ書きして終了しました。それぞれの銭湯への思いをしたたてめてフィニッシュ。
2020年現在、尾鷲市には「新生湯」、熊野市には「みはま湯」と私の住んでいる周辺には2軒の銭湯があります。数年前までは、仕事場の近くに「ときわ湯」という銭湯があったのですが、残念ながら廃業されてしまいました。
ステファニーさんいわく、三重県でも20数軒しか、銭湯はないそう。そんな中で、近くにまだ2軒もあるというのはありがたいことなのかも。
以前みはま湯に行った時、きさくに石鹸を貸してくれた番台のおばちゃん。そういう人情が銭湯にはあります。
この地方でまだ営業していることに感謝しつつ、銭湯の魅力に気付かされたワークショップでありました。
余談ですが、上の写真は松の湯の入り口からの写真。番台から向こう側の脱衣所が丸見え。当時からこんな感じだったのでしょうか。
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